発明の女王様2

はつめいひんをつくって、しあわせになりたいとおもっている、ちょっぴりコアな生きものです

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スクラップブック(個人的メモ)

瓢鮎図.jpg




1月1日 読売新聞別刷 より

謎かけの妙
寄稿 玄侑宗久

 我が臨済宗の一休和尚は、

「正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

と詠った。つまり、事と次第によってめでたかったりめでたくなかったりするようなのだが、いったいどうすればめでたくなるのだろう。

 禅では時間による切り替えをとても重視する。たとえば掃除なども、やればキリがないのだが時間で切る。仕事が終わっていなくともお昼には打ち切って食事をする。日が沈めば何事も放り出して座禅する、という具合である。

 そう考えれば、大晦日から元旦という最大の区切りには、よほど大きな切り替えが求められることになる。いわばニューモードが採用されなければ、新年になった甲斐がないではないか。

 一生つきあう自分、あるいは心も、最終的にこれが答え、というふうにはならず、「心、不可得」と云われ、「把不住(つかまえきれない)」とも云われる。そんな自分とつきあいつづけるのだから、尚更このモードの切り替えが大切だろう。

 昔、華厳の滝に学生が飛び込み、「人生、不可解」という言葉が有名になったが、最近でも似たようなことから自殺する人々が多いのではないだろうか。敢えて言わせていただけば、そのような人はたぶん一つのモードに固着してしまい、新たなモードに切り替えられないのである。

 京都の妙心寺塔頭、退蔵院にある国宝の瓢鮎図は、じつは足利四代将軍義持が、この新たなモード(心様)を求めて画僧如拙に描かせたものだ。画風も先駆的だが、なにより斬新なのはこの絵のテーマそのものだ。ぬるぬるの鯰(=鮎)を、ころころの転載で押さえつけて捕まえよ、というのだが、それはまるで達磨さんが二祖影印に言った言葉のようだ。

 「不安だというなら、その心をここに将って来なさい」 

 しかし「ころころ対ぬるぬる」ではどうにも埓が明かず、捕まえられるはずもない。しかし捕まえきれない不可得でよく分からない心ではあっても、さてそれとどんなふうにつきあうのか。そのモード次第で人生はガラリと変わる。

あなた方は分からない心を抱えたまま、どんなふうに生きていくのか、というのがじつは義持公が如拙に託し、禅僧たちに問いかけた内容ではなかっただろうか。

 京都中の三十一人の禅僧たちが絵の上に讃という漢詩を寄せる形でそれに答えている。しかしその詳細についてはここでは触れない。じつは間もなく「妙心寺展」が国立博物館で開催され、そこにこの瓢鮎図も出品されるのである。是非とも現物でご覧頂き、現場で考えてみていただきたい。

 ただここで申し上げておきたいのは、そのようなニューモードを幾つ知っても、結局は不可解な人生や心に、向き合いつづける「覚悟」こそが問われるということだ。その覚悟がなければどんなにモードを変えてもそれは逃げになる。不可解を生きる覚悟ができたとき、初めてさまざまな人生態度が笑って楽しめるようになるだろう。

  「妙心」を普通の言葉で云えば「不可解で不思議で不可得な心」。あなたの心のことである。








プレジデント 2007年10.29号
作家 守屋 淳=文


『老子』は万人の迷いを晴らす「世界の法則」である

世界におこるすべての変化の源、すべての物事を成り立たせる力が「道」なのだ。

老子は、西欧においても大人気の古典だ。その事実を象徴する記録が、翻訳の数になる。

英語に訳された『老子』は実に40種を超え(当然ナンバーワン)、「聖書」よりも多い翻訳が揃う古典なのだ。
 そして、そんな『老子』の教えのなかでも、とりわけ西欧の哲学者やニュー・サイエンスの旗手に人気なのが、「道(タオ)」。この「道」とは、一言でいえば「世界の法則」といった概念に近い。

たとえば、ビッグバンや宇宙の膨張、身近なところでは、死んだセミの風化や放置したパンの腐乱まで、すべての現象は「道」の作用の結果にほかならない。
 つまり、世界におこるすべての変化の源、すべての物事を成り立たせる力が「道」なのだ。
『老子』ではこれを次のように説明する。

・これが「道」だと説明できるような「道」は、ほんものの「道」ではない。これが、「名」だと説明できるような「名」は、ほんものの「名」ではない。
 「道」、すなわち、「無」こそ万物の根源であり、そこから「有」、すなわち天地が生まれ、万物が生まれた。
 (道の道とすべきは、恒の道にあらず。名の名とすべきは、恒の名にあらず。無名は万物の始めなり。有名は万物の母なり)1章

なぜ、「道だと説明できるような道は、ほんものの道ではない」のか。ビッグバンやセミの風化といった事象は、「世界の法則」の1つではあるが、それがすべての法則を代表するわけではない。人の限られた知見では説明し尽くせないのが「世界の法則」、つまり「道」になる。

また、人は世界の法則の結果に触れることはできるが、法則自体を見ることも聞くこともできない。いわば「無」でしかない。だからこそ「名だと説明できない」という指摘になってくる。
 この「道」や「世界」という概念、実は現代を生きる我々にこそ役に立つ面を色濃く持っている。なぜなら、「道」や「世界」には、自分がオンリーワンの存在であることを人に再認識させる力があるからなのだ。

これを説明するのにうってつけの事例がある。それが2003年に発売され、250万枚以上売り上げた大ヒット曲、SMAPの「世界に一つだけの花」だ。
 この曲、君は君のままでオンリーワンだよ、と恋する人に歌いかける内容なのだが、確かにこの歌詞の通り、「世界」の中では、人や花、どんな生きとし生けるものも、他と同じ存在は1つとしてない。すべてが「道」の作用によって、オンリーワンの価値を与えられているのだ。

ところが、現実の「社会」になると、そうはいかない。人と人とが作り上げている学校や会社といった「社会」のなかで、人は多くの場合入れ替え可能な存在に過ぎない。自分が辞めても、後から補充が入ってくれば済んでしまう。しかもビジネスマンの場合、入れ替え可能な存在である限り、いくら努力しても賃金があがらないという現状まである。

そんな息苦しい「社会」に嫌気を感じてしまったとき、「世界」や「道」に触れることで人は気持ちの鬱屈をかなり解消できるのだ。なぜなら、何かの道具であることに価値を置く「社会」とは違って、ただ存在するだけで、かけがえのない価値を「道」の作用によって与えられている――それが「世界」だからだ。

ただし、「世界」でのオンリーワンに安住し過ぎてしまうと、人は「社会」で価値が低いままに終わってしまう。他に代え難い人材となるために、必死の努力を重ねないと、望ましい収入や生活は手に入らないのが「社会」の現実でもある。

「世界」と「社会」のオンリーワンの違いを意識することが、人が有意義に生きる第1歩となるのだ。


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禅 + TAO
ライフ・ワークバランスなんて軽っちいものじゃない
もっと大切な何かを思い出させてくれるもの

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コメント


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お正月から

いきなり、重いお話ですね。

でもね、むーじょさんくらいに、色々なスキルを持っている人が、そんな事を言っていると、普通の人達って、勤める場所が無くなっちゃいますよ。
むーじょさんは、「オンリーワン」の才能をお持ちなんだからv-218

ほんとはね、この3倍くらい、コメントを書いたんですよ、あえて消しちゃったけど。
何があったのかわからないけど、むーじょさんなら、絶対に乗りこせるよ。精神面でも、社会でも、家庭でも。
色々あるかもしれないけど、お互い、今年も頑張ろうね(^_^)/

きむきむ | URL | 2009-01-03(Sat)21:31 [編集]

難しいお話しです……

私はリストラor事務所閉鎖で自分の意志とは関係なく職を失っています。
数社勤めましたが、全てがそれです。
辞表なんて書いた事ありません!('-'*)エヘ
時期が悪かったのか知りませんが、
我ながら仕事運がないなぁ……とウンザリしています。
まぁ実力もなかったし、笑い話にしてますけどネ v-411
なんか的外れなコメントでスミマセン v-435
元気出して下さい!

ぴん栗 | URL | 2009-01-03(Sat)22:19 [編集]

年始のメモなんです。

きむきむさん、ぴん栗さん、
お騒がせしちゃって、ゴメンナサイv-435

いろいろな所を覗き読みしてコピペしたメモですv-316
なんだか1年があまりに早く過ぎるので、年末・年始がちょっとめんどくさくなってしまいました。
「ドッグイヤー」と言われるくらいだから、6年に一回お正月をすればいいんじゃないかな~、とかv-286
この気持ちをうまく表す言葉ってあるのかな?と、思っていたところ、新聞の記事を発見しました。

>きむきむさん
ありがとうございます。
なかなかテイクオフできないむーじょですv-521

朝起きたときに思うこと、一日一日をしっかり生きよう、とか、一年の初めに思うこと、今年一年”こそ”はもうすこししっかりしよう・・・などと思うのですが、何故か続かない。
どうしたらいいのかな、と思っていままでいろいろな自己啓発やら思想やら哲学などの本を読み漁ってきました。もうそれは笑っちゃうくらいたくさん。
でも、本は本なのかな。読んだらもう忘れてるv-517 ボ~ (笑)

勇気付け、とても感謝します。っていうか、嬉しい!

このブログは木工だけでなく、いろいろな方面に揺れ動いていて、扱いが難しいかもしれませんけど、これからも見てやってくださいe-167


>ぴん栗さん
わたしも事務所の縮小で職を失ったことがありました。
自分の力ではどうしようもない、やるせない気持ちになりますよね。
仕事運が無い・・・
  ↑もしかしたら、違うところに運があるのかもしれません。そう思い、わたしは「自分に就職」という言葉を作りました。
時期は、これからもっと最悪になるかもしれません。
でも、到達点をちょっとだけでも想像することが出来るなら、乗り切っていけると考えています。

>きむきむさん、ぴん栗さん
どうもありがと。
人生や社会、ヒトについて考えるのが好きです。
死も生も、わたしにとって特別なことではなく、日常の一部。だから気楽に公開しています。

竹内まりあの「人生の扉」を一昨年聞いてから、また少し世の中の見え方が変り始めました。

ときどきこんなことを考えてますよ、といったメモの一部なんですv-410

むーじょ | URL | 2009-01-04(Sun)09:08 [編集]

あぁ良かったぁ!

なんか深刻な問題なのかと思ってしまいましたぁ。
むーじょさんのブログって、
人生経験豊富な優しいママさんのいる街角のスナックのようで大好きです。
(例えがスゴク変ですが超褒めてます)
木工の事もそうですが、それ以外にも色々コチラで学んだり自分自身を顧みたり。
そして笑い死にさせられそうになったり e-454
いつもありがとうございます e-343

ぴん栗 | URL | 2009-01-04(Sun)13:20 [編集]

むーじょのスナック

そういわれると、スナックのママになったほうが、シアワセになれそうな気がしますv-407
人生経験は、確かに年の分だけ豊富でありますv-369
最近は「弱音」を吐けるだけ、丸くなったのかな。(体も心もv-393)肩の力が抜けたというか。
解雇になったあと、3年ほどの間心理カウンセリングを受けていました。いろいろと話すうちに、自分としてどのようにしたいのかがぼんやり分かってきたのも、その、「何も無い」と感じていた時期でした。

自分でガムシャラにがんばろうとするときも、がんばれないときも、ちゃんと理由がある というのを見つけただけでも、なんだか人生の80%くらい生きちゃったかな?などと感じています。

死亡原因:笑い死に v-408

当事者のパソコンには、むーじょのブログが表示されていた・・・
検死官もそれを読んでショック死  ふっふっふv-391(怖っ)

むーじょ | URL | 2009-01-04(Sun)13:46 [編集]

ほんとに個人的メモなんだぁ

元旦からはぼけ~~~っと過ごしていた私とは大違いv-14

しかし、プレジデントの記事は面白い(興味深いって言った方が良いかな?)です。
「道(タオ)」かぁ。西欧の哲学者やニュー・サイエンスの旗手なんて人達も、やっぱり拠所みたいのを求めているんですね。むしろ、「そういう人達だから」なのかな?

ノ~テンキ野郎のきむきむは、宗教も哲学も、でんでんわからないないのれすv-15

きむきむ | URL | 2009-01-04(Sun)21:16 [編集]

久しぶりにじっくり文字を眺め、じっくり読んでしまいました。むーじょ君の文章か?すごーい!と思ったら引用でしたか。でも、こんな文章やらを読み漁ってるむーじょ君も、すごーい!

私の道は、ジャングルと砂漠の中を交互に進み、街に出れば嵐にみまわれ、オアシスを見つけたと思ったら、罠だった!
ってな感じで、体がもうボロボロですわ。

このままじゃあ早く死んでしまいそうだから、時間によるリセットじゃなく、居直りっていうリセット方法にしよーかなあ。

だいちゃんのまま | URL | 2009-01-04(Sun)23:42 [編集]

オンリーワン

オンリーワンは頂点を極めている現役の人に与えられる称号で、凡人やリタイヤした人の称号ではないと、ある評論家が言ってました。
現実はその通りかもしれません。不景気の攻撃に最初に犠牲になるのは派遣社員とかパートといった弱い立場の人たちです。オンリーワンを主張できない人たちです。
飯島愛さんや永田議員のように現役を退くと、やはりオンリーワンの称号をなくして、生きるすべが見つけにくくなります。

しかし凡人でも生きていかねばならない世界ですから、知識を増やして知恵を出し、生きるすべを手繰り寄せねばなりません。

無量義は一法より生ずとは釈迦の言葉ですが
無限の知恵は信じることから湧き出るそうです。植えた種が花を咲かせるのを信じ2009年はよい年でありますように・・・われながらいいこというなぁ・・。


ばんたろ | URL | 2009-01-05(Mon)03:18 [編集]

>きむきむさん
TAO(道)は古代インド哲学や仏教とともに、西洋ではちょっとしたブームがありました。科学的とも神秘的ともいわれるそれらの思想はカオス理論の元祖みたいです。
・・・・と、エラソーに言ってますけど、わたしも殆ど感覚的にしか理解していません(笑)
ニュー・サイエンス、ニューエージ 科学が夢を見ていた時代よ再び といった感じでしょうかv-311


>だいちゃんのママさん
引用ですよーv-410
わたしにこんなすごい文章書けるわけないれす
スクラップブックだってばv-369
読んでいただいてありがと!
これはわたしというプリズムを通して分光した、社会というものの見方の一部でーすv-485


>ばんたろさん
無量義。
お釈迦さんはずいぶんたくさん難しいことを言ったもんですねー。もういくらでも出てきますよね、知らない言葉や概念。そこがとても神秘的だと思います。

たしかに「世界に一つだけの花」のオンリーワンの捉え方はちょっと違うな、とは思っていました。槇原敬之は単語の意味の取り違えの激しい作詞家ですから、しかたないね~♪ です(笑)

>無限の知恵は信じることから湧き出るそうです。

現在のアメリカ式経済の破綻は、ヒトを人として見ない、扱わない、信じないというところから端を発していると過去に言った人がいました。取替え可能な部品としての自分と考えると、悲しくなりますし、死にたくもなります。

社会(会社)を一度分解し、どこまでが取替え可能で、どこまでが取替えできない部分なのか、(ポスト・アメリカーナも含めて)今年一年のテーマがそこらへんにあるのかもしれません。v-297

それほど専門ではないです(笑) | URL | 2009-01-05(Mon)10:26 [編集]

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