発明の女王様2

はつめいひんをつくって、しあわせになりたいとおもっている、ちょっぴりコアな生きものです

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家のなかからの掘り出しもの

すこし肌寒い土曜日のひとりごと・・・

季節もいいので、物置や押入れの隅を整理していました。
母のからだが動かなくなって数年間、手付かずだったものたち

古い家のなかにある「宝物」ってこれのこと?  



軒下から定盤が出てきました。
乾いた土に埋もれたように置かれていたものです。
グラインダーに次いで、もちざっぱなし(笑)のぱぱりんの遺物
新聞紙の上で赤サビをこそげおとすことしばし
やっと盤面の鉄が姿を現しました。

定盤1.jpg

どうしたものやら・・・
中古の定盤を買おうと思っていた寸前の出現です。

定盤裏.jpg

裏側です きったね~ どうしろというんでしょう


とりあえず軽く掃除して、ちょっと雰囲気をだしてみたり・・・

定盤使い方.jpg

なんとトース管もありました。
木工用のようですが、使えます。
ちょっと見、プロっぽいです

平面性がアレですので、定盤としては現状では使えません

いっそのことこの上でお肉でも焼こうかしら・・・
川口駅あたりで屋台だして「キューポラ名物 定盤焼き!」とか
キカイ屋さんが見たら、めだま飛び出しそう



彫刻等たくさん.jpg

彫刻刀wwwww
どっひ~
父と母が別々に木彫をやっていた結果です
すこしくらい共用すればいいのに・・・・・・・無理か

わたしが『買おうかな~』と思っていたシラガキも、何本かある様子です。
たたきノミも・・・・買う必要無かったんだぁ



刃研ぎグラインダー.jpg

彫刻刀を研ぐためのグラインダーが出てきました。
替えのサンドペーパーやら研ぎ棒やら、予備のディスクやらいろいろ

ほかにも測定用のコンパスたくさん、カッターやドライバー複数
わたしが無くしたと思っていた工具もチラホラ・・・



二人とも、かなりバカスカと工具やら道具を揃えていたんですねー。
その性格を受け継いだんじゃ、わたしもしょうもないかな~

朝からもう おなかいっぱい です


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もう一つのタブロー  ~Little Plinceより・・・

古い家について書かれた、宝石のようなことば
サン・テグジュペリは「星の王子さま」の中で、古い家をこんなふうにいっています。


「砂漠って、美しいね」王子さまが、ぽつりと言いたした……
 そしてそれは、ほんとうだった。僕はずっと、砂漠が好きだった。

なだらかな砂の丘にすわれば、あたり一面、なにも見えない。なにも聞こえない。
それでもその静寂のなかで、なにかがひっそり光っている……

 「砂漠が美しいのは」

王子さまが言った。

「どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね……」

 このとき不意に、僕はなぜ砂漠が不思議な光を放つのかわかって、息をのんだ。
僕は子どものころ、古い時代に建てられた家に住んでいたのだが、その家にはどこかに宝物がうめられているという言いつたえがあった。

もちろん、それを見つけた人は誰もいなかったし、もしかしたら、さがすことさえなかったかもしれない。

でもそれが、家全体に不思議な魔法をかけていた。
僕の家は、その見えない中心部の奥に、秘密をひとつかくしていたわけだ・・・・・・





サン・テグジュペリが砂漠に不時着して、水を求めて生死の境を彷徨っているときの場面です。
どんな場面にも宝物が隠されている・・・
それを感じ取れるのは、その人しだいだ と。




                                          



 「地球の人たちって」

と王子さまが言った。

「ひとつの庭園に、五千もバラを植えてるよ……それなのに、さがしているものを見つけられない……」


「見つけられないね」僕は答えた……


「だけどそれは、たった一輪のバラや、ほんの少しの水のなかに、あるのかもしれないよね……」



                                          




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「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」 (福島県立美術館)を見た感想


オルソンの家 1966年.jpg

「アンドリュー・ワイエス 創造への道程」 (福島県立美術館)
2009年4月7日 見学

『私は季節の中でも冬や秋が好きだ。風景の中にある骨組みや孤独感、死に絶えたような雰囲気が感じられる。何かがその下に隠れていて、物語の総ては明らかにされていない。そんな気がするのだ』 (Andrew Wyeth)


わたしがアンドリュー・ワイエスの絵に惹かれた理由は、たぶんこの言葉の中に集約されているのかもしれません。
アンドリュー・ワイエスは、ナショナル・アカデミーに提出した自画像も、寒々しい荒野できつく唇を結びスケッチブックを携えた姿をえがいています。

そんな彼にオルソンの家を紹介したガールフレンド(後の妻)のベッツィ。
彼女はオルソンの家を
『丘の上に打ち上げられ、雨風にさらされた船』
と表現していました。


霧の中のオルソンの家 1967.jpg


ひとの運命というのは、もしかしたら本当に最初から決められているのかもしれませんね。
ワイエスがベッツィと出会い、ベッツィがオルソンの家を案内し、オルソン家に住むクリスティーナとアルヴァロ姉弟の生活を描き始める。

どの一つの要素が欠けても成り立たないくらいの微妙なバランス
オルソン家の住人であるクリスティーナとアルヴァロ姉弟が亡くなるまでの30年間を通して見続けてきた時間の流れというもの。

展示の初めにあったアンドリュー・ワイエスの自画像は、これから起こる自分の道を暗示していたように見えます。
まだ若いのに、時間の遥か先にあるものを見ているような視線

無常感

そして、無常なことに対して必死に、寡黙に生き抜いていくことについて
たぶん ずーっと考えていたのかもしれません。


家というもの
ひと と ともに生き 住むひととともに死んでいく 肉体の一部のようなもの


日常にある何気ない生活用品や道具、風景がこんなにも懐かしいものだったなんて。

わずかな時間のあいだですが、アンドリュー・ワイエスと視線を一緒にすることができた展覧会
『なぜじぶんはこれに惹かれるのだろう』
自分を引き寄せるものには、かならず何か理由があるのだということが、少しだけ見えた時間でした。

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宿場町・大内宿~白河

大内宿は江戸時代の宿場の雰囲気をよく残した街です。
不思議なのは、なぜこんな奥まったところにこんなに整然とした宿場があったのかということ。
南北軸に伸びた広い大通り、階段状に立ち並んだ宿屋もなんとなく不思議です。


大内宿-1.jpg

閑散としているように見えますが、観光バスの団体が去ったあとです。



大内宿-2.jpg

大通りの道の脇に流れる澄んだ用水路で桶をあらう人
水を撒いたり何かを洗っていたり、よく働いています。ほっかぶりがラブリーです
ここではばっちゃが、みんなとっても元気



大内宿-3.jpg

坂の頂上から南に向いて見た大通り
雪がだいぶ残っています。
ここのさくらは5月の連休くらいが普通だとか。



大内宿-4.jpg

なんとも暖かそうな明るい縁側
ほんのすこし前までは、こんな風景も八王子あたりで見られたのですけどね。
わらぶき屋根というのは、維持が大変なんです。



大内宿-5.jpg

西日よけのすだれ
山すそにしては、西日がよく差し込みます。



大内宿-6.jpg

? 湯殿山って、このあたりでしたっけ
こういう田舎道、懐かしいです。
原風景ってやつかしら。
そういえば、現代っ子の原風景って、どんなんだろ?
高層マンションや地下道なんかがそうなるのかな・・・



大内宿-7.jpg

陣屋の資料館内部です。
寒い地域だけあって、家の中に回廊が回っています。
戸が閉まったままなので、まっくらです。



大内宿-8.jpg

古い電球傘
東急ハンズで売っているのと違います。
これは古いもの。
すすけていい色合いをだしてます。




大内宿-9.jpg

宿場のほぼ中央に位置する鳥居
真西の山に向かって道がまっすぐに伸びています。
この鳥居が死者と生者、俗域と神聖域を分ける境界なのかもしれません。
簡素な鳥居ですけれど、これほど際立った境界は見たことがありませんでした。
もしかしたら、その地方の独特なカミを祭っているのかもしれませんね。




大内宿-10.jpg

色とりどりの売り物を飾ったおみやげ屋さん。
唐辛子かなぁ。

母の乗る車椅子を押しているので、昔のようにちょろちょろと観察ができません。
というか、ここは車椅子で来るようなところではないのかもしれません。




大内宿
面白い宿場町です。
いろいろと謎の多そうな市街計画
詳しく調べると、なにか出てくるかもしれません。







大内宿-11.jpg

羽鳥湖を抜けて白河に出るコースを取りました。
白河では「白河らーめん」が有名だそうです。
市内に入ってすぐのガソリンスタンドに寄ったら、セルフじゃなくてガソリンが入りました。
高速の入り口の場所を尋ねるのと一緒に、そのおにいさんにおすすめの白河ラーメンのお店を聞きました。
そのおにいさん曰く、ゼッタイにオススメなのは羽鳥湖方面に行ったところにある彩華というラーメン屋さんだとのこと。

「え~、また戻るの~?  インターに向かう道スジになぁい?」

「あることはあります、たくさん。でもフツーのどうってことないラーメン屋です。」


「戻るのめんどくさいから、フツーのラーメン屋でいいや~。それ、どのへん?」

「えええ~? ダメですぅ~。お奨めしませんって。戻ってみてくださいよー」



と強く説得されて行ったのが白河手打中華「彩華」という田んぼの中の一軒家
確かに地元の人ばかりで満員でした。
そして昼休みを過ぎたら、誰も居なくなっちゃった。

ほんとに地元での人気店なんですね。
やはりおいしいお店は、観光本じゃなくて地元の人に聞くのが一番のようです。

白河らーめん、こってりした見かけによらずあっさり味で、ダシも利いていました。
らーめん おいし~♪


また再び 一度教えてもらったガソリンスタンドの前を通り過ぎて、白河インターから自宅まで。
2時間半で着いてしまいました。


旅というのは、終わってみるとあっけないものです。

でも身体は正直なもので、結構くたくたになってました。

福島県はいいな~。
なんといってものどかな(わたしの)原風景が広がっています。


それに比べて、わたしの住んでいるところってホント、住宅住宅住宅住宅住宅住宅住宅以外に何ぁ~んにもないです。

あーあ・・・・・

眠ぅ

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福島旅行・高湯温泉~磐梯吾妻スカイライン~会津若松~大内宿

2009年4月8日

福島・桜満開の旅(になる予定だった)2日目は、高湯温泉~磐梯吾妻スカイライン~会津若松~大内宿のコースです。



090408-1.jpg

夕方の福島テレビのニュースでは、前日の8時から並んで開通を待っていたという人が出ていました。
朝10時半くらいには、やっと数台になっていた という感じでした。記念に入浴剤をもらいました。ラッキー




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車載カメラの取り付け状態
三脚にカメラを付けて、ガムテでぺたぺたと貼り付けただけであります。見苦しいのが欠点ですが、そこそこ撮影できていました。
この状態で走っていると目立つらしく、とても恥ずかしいです。こんどは目立たないように付けなくてはだめですね。
目覚まし時計は、カーステレオの時計が壊れてしまったので、これもガムテで着けてあります。
大型アナログクロック 見やすいですね。 ・・・・かっこ悪い


090408-3.jpg

これが噴火口への登り口
寒かったです。スキー場みたい。頬が冷たい風に当たり、かちかちになるのがわかります。
あとで、「焼けたね」っていわれちゃいました。





090408-4.jpg

長い階段をひたすら登ります。
写真に撮ると、登っているのか下っているのかわかりませんね。
これだけ苦労して登ったのだから、さぞかしスゴイ景色がみられるのかな・・・・




090408-5.jpg

・・・と思って着いてみたところ、タダの丸い穴(噴火口)があるだけでした。

渚です。    いえ、噴火口のエッジです。
噴火口の写真は余り面白くないので、省略





090408-6.jpg

斜面の殺伐とした風景は、活火山地帯だけあって、ほんとに殺伐としています。
硫黄の臭いがきついです。
硫黄の臭いを嗅いでいると、おなかが空いてきてしまう変な条件反射があったりします。





090408-7.jpg

時間も押しているので、すぐに出発
といっても、わき見運転しているので、ゆっくり走ります。
会津磐梯山が独立峰でとても綺麗!
このあたりが、雪の回廊でした。





090408-8.jpg

と、景色に見とれているうちに、カーブを曲がりきれずに雪に突っ込む・・・・

・・・・・・・・・・・

うそです。
いい景色のときには、こうやっていちいち車を止めて眺めてるから、とても時間がかかるのです。






090408-9.jpg

廃墟建築発見!
これは立派な廃墟だぁ! 遊んでいきたいけれど時間が無いので、撮影だけ。
壊れ具合といい、洒落たデザインの朽ち果て具合といい、かなりステキな廃墟ですね。
どこかの「廃墟写真集」に載っているかもしれません。






090408-10.jpg

会津若松のお城です。
RC5階建て 中は資料館でした。
敷地内の茶室群がいいですね。こちらのほうが価値が高いかもしれません。
連続時代劇の舞台らしくて、のぼり端がたくさん立っていました。






090408-11.jpg

予定時間どおりに大内宿に到着です。
宿は「本家扇屋」
蔵の中が宿泊室になっています。
おかみさんが有名人でした。テレビに2年間ほど出演していたそうです。
明るくて愛想のよい女将さんです。
知らなかったけれど、有名な宿だったんですねー


090408-12.jpg

すみません。わたしはあまりテレビを見ないので、存じませんでした。
でも、宿も風情がとてもあり、十分楽しめました。





090408-15.jpg

本家扇屋のメインエントランスです
蔵ですので、脇っちょから入ります。障子の戸がいい雰囲気だしてます。





090408-13.jpg





メインのリビングダイニングは、古めかしい板張りの囲炉裏端でした。
囲炉裏には、わたし達の夕食用の岩魚が刺してありました。
じんわりとした囲炉裏の火で焼いた岩魚は、頭からしっぽまで全部食べられます。





090408-16.jpg


隣りの席のお客さんは、テレビ局の取材スタッフでした。
富山テレビの料理の番組のようです。
レポーターが料理を一品一品説明を聞きながら食べていきます。

わたしたちはまるでテレビを見ながら食べているかのような錯覚になり、面白かったです。
目の前でやってる立体テレビ番組といった感じでしょうか。

翌朝には、ご挨拶で富山のおみやげまでいただいてしまいました。



らっきー

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さくら見には早すぎた福島県旅行

ワイエス展.jpg

行ってきました アンドリュー・ワイエス展@福島県立美術館
福島県までは思っていたよりも遠く感じました。
さくらが咲いていたのは、宇都宮くらいまででしたねー。
それ以北はまだ冬の景色です。
狭いニッポン、どこえいっても同じだと思っていましたけど、あてがはずれて残念でした。

アンドリュー・ワイエスの実物画を近くでみてきました。
やはり本物のディティールやコントラストは、図版で見ていたものとは桁違いに美しいです。
有名な絵はそれほど無い地味な展示でしたけれど、見てよかった。

福島県立美術館 予想通り見学者はまばらでした。
ゆっくり、じっくり見られました。



夜の宿は高湯温泉の「玉子湯」です。
玉子湯.jpg
少しだけ山の上のほうに上ったところにあるのですが、道の途中から雪が残っているのにビックリ。
温泉は合計5つのお風呂があり、露天風呂が2つという古めかしい温泉でした。
硫黄の臭いも強く、身に着けていた銀のアクセサリーは一瞬で真っ黒になってしまいました。


玉子湯の夕食.jpg

玉子湯のお夕食
山菜をアレンジした料理と和牛のしゃぶしゃぶです。
久しぶりにおいしい料理を食べました。
食事はいつも毎日毎日わたしが作っているから、とてもいい刺激です。
でも、材料も作り方もたいへんに凝っているもので、わたしが作れそうにはありません。

熱めの硫黄泉に入りすぎて、多少へろへろになってしまいました。
歩けない母と一緒の一泊でしたけれど、旅館の人たちの家庭的できめ細やかなサービスが、とてもありがたかったです。


高湯温泉は、磐梯吾妻スカイラインの入り口近くにあるので、よく朝はすぐに磐梯吾妻スカイラインに入りました。ちょうど4月8日が開通式
これはちょっとしたニュースらしくて、夕方のテレビニュースでその様子が詳しく流れていました。

磐梯吾妻スカイラインを走りながらの撮影で、ちょっとしたショートフィルムを作ってみました。
ヘタクソです、えへへ・・・











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ちょっと出かけてきます

「ちょいと一風呂浴びに、福島県までお出かけしますん」
と言ったら、

「福島なんかに、何しにいくん? なぁ~んにもないところだけんど・・・」

福島県から来ている人にこんなこと言われちゃいました
ヒドイ・・・自分の県でしょ? って。

アンドリュー・ワイエス展を見に行こうと思う限界の遠さが、福島県だと思います。
十分遠いです。
たとえば仙台だとしたら、たぶん行かないなー。

それに、何も無いというのは、結構好きなんです。
ほら、英語でも言うでしょ
"Nothing is there! " (何も無いものが、在る!) って。

というわけで、何もないものを見に福島へ。

都心環状線から東北道に入り、福島飯坂ICで降ります。
距離にして310Kmくらい。
降りたあたりでお昼を食べて、福島県立美術館でアンドリュー・ワイエスを見学します。
きっと都内と違い、ゆっくり見られると思います。

そしたら福島駅の上を通り過ぎて、高湯温泉玉子湯へ。
とても風情のありそうな温泉なので、早めに着いてふやけます。




次の日はのんびりと出発
8日に開通予定の磐梯吾妻スカイラインを通って猪苗代町から会津若松に出ます。
磐梯吾妻スカイラインは、まだ雪の壁が残っていそうな感じがします。
どこの旅行でもそうなのですが、○○スカイラインを走る時って、いつも決まって霧や曇や雨なんですよね。
こんどは晴て、いい景色が見られるかな。

会津若松でお昼
おそばがおいしそうです。
鶴ヶ城の桜は名物だそうで、お城見学
お城にエレベーターとかありそうなら、建物内も見学

会津若松の町をのんびり流して、夕方には大内宿へ。
大内宿は、妻籠・馬込とならぶ3大現存宿場町です。
わざわざ大内宿の民宿に泊まることもないのですけれど、移動するのもめんどなので、「本家扇屋」に宿を決めました。
蔵の中での一泊です。
妻籠・馬込は2回ほど行ったことがあるので、日本に3つある宿場町を完全制覇 って感じ。
実は昔、大内宿はちょっと寄ったことがありました。

次の日の朝は大内宿でのんびりして、お昼頃に帰途に着く予定です。
鳥羽湖を抜けて白川ICに入り、おうちまで直行。
以前289号線を通ったことがありました。
このルートって、途中で途絶えて林道になってしまうんですよ。
知らなかったので、ちょっと大変でした。


最近では旅行雑誌を買わなくても、インターネットで宿や名所が調べられてしまうので、いいですね。

カーナビ、持ってません。
地図、古いままです。
わからなくなったら、車を止めて人に道を聞いてしまいます。
お奨めのおいしいお店なども、現地の人に聞いてしまいます。
田舎だと人が見当たらないのがちょっと困るくらいです

高速道路はつまんないので、出来れば下道を走っていきたいのですけど、やっぱりちょっと遠いいかな・・・。



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径る時~さくら花

さくら花 日本人の原風景

春に咲く桜の花に寄せる思いは、歳とともにさまざまに変化していきます。
この季節、桜が歌詞に織り込まれた唄を聴くのも、お定まりになりました。

わたしが桜の季節の少し前に聞く曲

「花」      滝廉太郎
「花の町」   江間章子作詞・團伊玖磨作曲
「荒城の月」  土井晩翠作詞・滝廉太郎作曲
鮫島有美子 さんのCDで聞いています

「桜三月 散歩道」  井上陽水
「お花見メレンゲ」   大滝詠一
「径る時」        松任谷由美
「人生の扉」      竹内まりあ


中でも、ユーミンの「径る時」はお気に入りで、過去にイメージフィルムを2本ほど作ったことがありました。


さくらを主題にして、どんな曲があるのか、最近の曲は殆ど知りません。
一番最後には、「人生の扉」がお気に入りの一つになりました。


さくらの花というのは、なにか特別な花のように感じます。

『世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』  在原業平

この時代から、桜の花というのは、日本人の微妙な心を著わしていたんですね。





わたしが幼い頃、稲荷山公園という駅に飛行機が展示してありました。
当時は米軍のキャンプがあって、アメリカンな小住宅がたくさん並んでいた頃です。

展示してある飛行機の中で、ひときわ珍しい形をした、小さなジェット機がありました。
まるで子供用のおもちゃのような小さな飛行機です。

「ねぇ、あれ、子供の乗る飛行機?」

って、わたしは母に尋ねました。
「そうねぇ、小さいから、遊園地から持ってきたのかもしれないわねぇ」

回転塔の飛行機、そのジェット機みたいな展示飛行機は、それほど小さな飛行機でした。



その後、雑誌でそのミニジェット機が「桜花」であることを知りました。

「桜花」というのは、人間爆弾です。
飛行機から切り離され、敵の戦艦めがけて落ちてゆくための自爆機。
そんな特攻機だったというのを知ったのも、ずいぶん時が経ってからでした。



桜のはなというのは、不思議なものですね。
わたしも桜が咲いているときというのは、なぜか落ち着きません。

過去のそのときに見た桜、そのときの心情というものが、まるで焼きついたように思い出されるからです。



「径る時」 (ふるとき)
さくらのはなびらが風に舞い、まるで砂時計の砂のようにサラサラと時を刻んでゆく・・・・


     


さくらの花を見に行かなくては・・・とそわそわしている時期に、意を決して桜見物旅行を計画してみました。
アンドリュー・ワイエスを追って、福島県立美術館への旅。

さびれた風景と、さびれた桜が見られれば嬉しいな。
アンドリュー・ワイエス 日本人的生死感を共有した画家

そして日本人の生死感の象徴でもある「桜」のある風景

「桜の木の下には、死体が埋まっている」と言ったのは、梶井 基次郎でした。
そのうしろの続く文章は知りません。

わたしの家の桜の下には、昨年春に死んだ犬が眠っています。
認知症の進んだ母が言うには埋められた犬が、時々大きな声で吼えているといいます。


今年見る桜には、はたしてどのような思い出がつくのでしょうか。
最後の旅になるかもしれない、桜見物


のんびりと東北の春を見に行きたいと思います。


                   

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新しいことを覚えるのには、時間がかかります

組み立て途中

夕食後には、いままでと種類の違うソフトをポチらポチらと覚えています。

なんだかアプリの流行り廃りが異常に早いような気がしますよね。
初めて触れた3Dソフトは、STORATA Proでした。

・・・・ものすごくクリエイティブで斬新なアプリでしたけど、消えましたね~。

『これからは Form Zだよ!』
って言われたので、無料講習に横浜まで通いました
『すごい!、いきなり立体が出来ちゃうんだぁ!』

でも、
・・・・・あのひとは今 って感じになってしまいました。


会社のCADソフトでも、元になるアプリがどんどん変化していくので、もう大変な騒ぎです。
かといって、覚えないでいると、業界標準からどんどん遅れてしまうし。
なんかみんな疲れてるよね、これ以上新しいソフトばかり覚えられないって。


一人で考えてみると、コンピューターとインターネットって、過去に無いくらいスゴイ発明品だったように思えます。一気に時代を進めてしまう進化。
こんなスピードで世の中が変ってしまうのに、着いて行けるのでしょうか
わたしのまわりの人たちは、もうレッドゾーンの回転数になってしまっているような気がします。

「コンピューターのスピードは、18ヶ月で2倍になる」
という法則があったけれど、まだ進化は続いているのかな?

わたしの脳みそは、たぶん18ヶ月で半分に減っていっているようです 
 

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